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国指定重要民族文化財(伝統の火祭)

祖生の柱松

江戸時代中頃には、台風やウンカ、イナゴなどによる自然災害に加えて悪病の流行が相次ぎ、西日本ではたびたび飢饉にみまわれました。そのころ、この地方の主な産業は農業でしたから、米麦などの収穫に望みもなく、その打撃のため飢えと病気によって失われた農民たちの命は、数百を数えたと言います。祖生などの農村がこんな災害に打ちひしがれた享保17〜18年(1732〜1733)は、悲惨のどん底でありました。追いつめられた農民は自ら立ち上がる力もなく、ただ神仏の助けにすがるほかないという哀れさでした。こんな時思いついたのが、神々に世直しを願うために、高い空に灯明をかかげ、天下太平・家内安全と、牛馬の無事をひたすら祈るという、柱松行事になったものでありました。

「祖生の三本松」中村8月15日・山田8月19日・落合8月23日

夜空に燃えさかる柱松

小祖生畑の子ども用柱松